ボケたらいけないの?

父が突然倒れて入院して4ヶ月半が過ぎました。 病状は安定して、先月半ばにはリハビリ専門病院に転院し、 今は4ヶ月寝ていて落ちに落ちた筋肉がどこまで付いてくるのか、 果たして車椅子から脱出できるのか? そんなところで、父は頑張っています。 でも、私たち家族が毎日のように顔を出さないとご不満。 その気持ちはわかるけど、 十分にわかるけど、 同じく高齢の母も倒れ、妹と私も仕事があり、 さらに、リハビリ病院は以前の病院よりも、 それぞれの住まいから遠いこともあって、なかなかままなりません。 そんな中で、私の脳裏をかすめる不安がずっとあります。 「父はボケちゃうんじゃないか……」 入院生活は刺激が少なく、 しかも、最初に高熱を出したということもあり、 徐々に認知症の症状が進んでいるように感じます。 じわじわじわじわと…… 短期記憶っていうのが、ダメです。 たとえば一昨日、 「土曜日は、私、人間ドックにはいるの。 だから病院には来れないけど、日曜日の午前中には来れると思うよ」 そう言って帰ってきたのですが、 ドックから変えると家の留守電に看護師長さんから伝言が。 「このごろおうちの方が顔を出されないので、 今日の夕方にでもいらしてほしいということです」と。 ふぅ~( ̄_ ̄ i) そして、その留守電を聴いた時から、 なんとなく胸が苦しい。 何か反応してますな(-“-;A 考えてみました 探ってみました 私、何が気になるの? 父がもっとボケたらどうしよう? ボケないようには、なるべく顔を出した方がいい 出すべきだ そんなことをずっと考えているんだと気付きました。 母も同じように思って、毎日見舞い、 そのせいで過労になって倒れ、母も2週間ちょっと入院した(゚_゚i) だから、家族が頑張りすぎても共倒れする 入院生活がいつまで続くかわからないんだし…… そうわかっていても、割り切れない気持ちの源は、 これ以上ボケちゃったらどうしよう? 困るよ……という不安。 そして、それを少しでも食い止めるのは、家族の責任 そんなふうに考えているんだと気付きました。 もちろん、入院生活って退屈だから なるべく顔を見せてあげようという気持ちもあるけれど、 それは二番目で、 一番はボケへの不安と防止責任なんです。 そうか~ ボケたらいけないのか? 私の中に、ボケたらいけないっていう想いがあるのかもしれない。 ボケたらかわいそうだ ボケたら大変だ ボケたら困る そう思っているんだな……私。 さらに、 ボケない人もいるんだから ボケたら恥ずかしい 自分の父親がボケるなんていやだ ボケるなんて許せない こんなことまで思っているのかもしれないな そんなことを考えているうちに、 ボケたらいけないの? ボケるって悪いことなの? ボケるって恥ずかしいことなの? ボケてもいいんじゃない? ボケたらいけないって思ってきたから苦しいんじゃないか? そこにたどり着きました。 ボケるってことを私は完全にジャッジして見てきたんだ…… だから、そういう父にしたくない そうなったらダメ そうならないように自分にできることをしなくちゃ こうじゃダメ こうなったらいけない だから、そうならないように頑張れ!努力しろ! 父にも自分自身にも、こう思ってきていたんだな~ ボケることって、もちろんうれしくないし、 そうなってほしいとは思わないし、 防げる方法は、いろいろあるのだろうとは思うし、 投げ出そうとかあきらめようとは思わないけれど、 でも、ボケてもいいって受け入れてみたらどうなんだろう…… まず受け入れてから、それから行動してみたら…… ジャッジしているところから父や自分を見る、 その目線、その苦しさが変わったら、 表情も言葉も、接し方全体が変わるかもしれないな あとどれだけ輝くのか、父の命 そんな父の幸せって、歩けるとか考えられるとか、 何がどれだけできるってことも大切だけど、 私たちの笑顔を見るのも幸せの一つだよね